
2年前の事だ。とある高名な中国拳法家と新宿の居酒屋で御縁を戴いた。偶然席が横になった事が始まりだ。聴けば、極真空手の某総帥とも対峙した事のある御方で、たしかに何とも言えない威圧感を感じた。
若い頃は決闘も実際にしたらしく、その頃の古傷か、右目がおかしい。陥没しているわけでもないのだが、斜視の様な感じだ。
俺はとなりで何となく会話を交わした後に、自分が大学時代に少林寺拳法を習っており、そのルーツが同じ中国拳法にあるという事で少し意気投合した。
同席した弟子のフランス人から英語で“おい、あまり師匠に気易く話しかけるな。”と諫められた。
本当に結構ガチな拳法家で、男性陣が良く読んでいるグラップラー〇牙を描いた方もボコボコにして追い返した事があるそうだ……。
話している途中で、私の故郷の事や私自身の生い立ちの事に話が至った。答えの一つ一つが確信を付いていた。何かを見通しているような緊張感が取れない。
その後日、稽古をオープンにするという事で、良ければ来るか?とお誘いを戴いたので2つ返事で行く事を決めた。
…………後日…………
稽古は“立ち座禅”から始まった。

6月の初夏の新宿はミンミンゼミが鳴くのどかな気候で、気持ち良かった。だが、次の組み手が厄介だった。
中国拳法には流派が無数にあるが、この拳法家の方の流派は師匠の方が単身大陸に渡って日本人として唯一免許を許諾された流派だ。組み手は本当に厄介だった。
でも楽しい☆。
昔の人ながらのスパルタ方式だった。さっきの“立ち座禅”の効果を活かしながら“流れ”というものを意識して、相手の攻撃をいなす稽古だったんだけれど、なかなか慣れないもんで、この拳法家が苛立ち、“俺とやれ!!!”と師匠とやる事に。
でも、やっぱり出来ない。
したら、頭にげんこつと平手打ちが飛んできた(笑)。
遠慮なく(笑)(笑)。
次は蹴りだ。
当らない。当たる兆しすらない。
少林寺拳法仕込みの俺の蹴りが………。大学時代の俺は体重49キロで速さと前蹴りの威力だけは自信がちょっぴしあった。ボクサーとやり逢った時もこれだけは通じた。

※出展::グラップラー刃牙より。
その蹴りがまったく通じずに“そんな蹴りがあたるか!!”と軽く持たれて、そのまま壁にドンッッ!!!
“普段余計な事ばかり考えているから、余計な動きが多いんだ。”と一喝。
その他にも足の移動稽古があったり、立ち座禅30分が続いたんだけれど、どれも意義深かった。
自分の丹田からのエネルギーをそのままに感じる稽古。
そんじょそこらのエセからじゃなくて、実際に決闘を繰り返していた方とは同じ空気を共有しているだけで、何か嬉しかった。
(※あとで調べてみると、本当に結構な数の決闘を映画張りにしていたらしいです。極真空手家とも少林寺拳法家ともかなりやりあったようです。事件に巻き込まれた事も多数。)
そんな中でも今回の師匠との稽古で一番印象に残っているのは、次の事です。
支障は弟子の方に色々基本の確認指導をしていたんだけれど、ため息を付きながら“はあ~~~、基本もなってねえな………。技術ってのはなかなか伝承しねえもんだな~~~。”とボヤいていた。
“みんな基本すら出来てねえんだ。完成形が自分で見えてねえし、自分の身体を自分で創っているという自覚がねえな。”
一番印象に残ったのがタイトルのお言葉だ。
俺:“師匠、今日は稽古に付けて下さってありがとうございました。師匠は海外にも弟子が居て凄いですね。”
師匠:“ありがとうよ。でもな、そんな事は問題じゃねえんだ。いつの時代だってな、大きくなったり話題になったりするのは偽物の方なんだ。世に出回るのは偽物だけなんだよ。本物ってのはな泰然自若としているだろ。その反面、騒ぎ立てて我が物面していくのは偽物だけなんだ。世間のみんなは何が本物で偽物か判断がつかねえからな。だから、本物ってのは短い期間でしか巡り合えないもんだ。”
別に全然残念そうじゃなかったけれど、この言葉が妙に心に残った。
ちなみに最後に俺が金持ちかどうか訊かれて、金持ちじゃないって答えたら、金のねえ奴と付き合っても意味無いから金持ちになったらまた来い(笑)って^^。

2年前の快晴の新宿の1日でした☆☆☆。